限りない罪悪感をそのままに受け止めつつ、限りある時を楽しむ。
こんにちは、よこです。
昨日の会で撮っていただいた写真。
2018年の漢字一文字「報」を説明中^^
ブログやSNSなどで「報せる」ことを重点的に
取り組む1年にしたいです!
打ち上げの後は、
キタカン☆ボニータメンバーで
2月23・24日に出展する
『北区子育てメッセ』の打合せに
ちらっと参加させていただきました。
「ちらっと」と表現しているのは、
実は私今回こちらのイベントに
ほとんど関われていないのです。。
しかし、みんなの活動の様子を
写真で応援したい!と、
打合せを撮影させていただきました。
当日はステージ発表も行いますよ☆
会場図やタイムテーブルを入念にチェック。
東京都北区は、私が担当している
産後ケア赤羽教室も開催しているエリア。
なので、私にとってもすごく思い入れの
ある地域です。
というかそもそも、マドレボニータで
出会った仲間達は私が大切に想う人
ばかりなので、一緒に活動したい!
もっとコミットしたい!!という気持ちも
湧き上がる存在なのです。
一方で、どれだけ想いはあっても
身体はひとつで、
1日は24時間で、
私が物理的にできる作業量は限りがある、
なぁと。。
その中で、
今までかなりのエネルギーをかけて
行なっていたことを、もう以前と
同じようには出来ない状況というのは、
「ここでフルコミットしていない私、
この団体にいていいのだろうか・・」
「みんなから優しくされるほど、
できない自分が不甲斐ないし、
申し訳ない・・」
不安や疑念や罪悪感が、
すぐに生まれやすいなぁと
感じたりします。
今まで熱意高く取り組んできたこと
だからこそ、なおのこと・・・
お先においとまする前に集合写真。
当日はぜひぜひ、マドレボニータのブースへ
足を運んでいただければ幸いです☆
しかも自己肯定感が低いと、
罪悪感も限りなく生まれてきやすい・・
ですが、
申し訳ないという気持ちを
そのままに受け止めつつ、
限りあるエネルギーを
「今の自分が大切にしたいこと」
へと注ぎ込む。
・・そんな時間を楽しむ余裕を
持ちたいものです。
上手ではないけれど、好き。ってことを、丁寧に取り扱いたい。
こんばんは、こんにちは、よこです。
本日は、NECワーキングマザーサロン北チームの
活動ふりかえり&打ち上げでした。
9期北チームの進行役として活動したともちゃん。
チームの癒やし担当。
最初の1枚に、メンバー一同キュンキュンでした♡
このふりかえりについての様子は、
メンバーで前のめり担当だった陽子ちゃんが、
サロン公式ブログにてご報告予定です。
お楽しみに^^
それで、私が今日こちらで書きたいことは、
私、写真が上手ではないけれど、好きだなぁ。
と再確認したというお話。
カメラの操作にはまったく疎いのですが、
今は性能が良くて、腕がなくても
素敵風に撮れるから素晴らしい!
これで腕があればさらに良いですねぇ・・
一番のお気に入り、乾杯の様子。
久々にカメラで写真をたくさん撮りまして、
そういえば高校入学のお祝いに
親から「何が欲しい?」とたずねられ、
コンパクトカメラを買ってもらったことを
思い出したのでした。なつかしい・・
iPhoneに機種変してからは
スマホ撮影が圧倒的に多かったのですが、
最近またカメラで撮りたい熱が上がりまして。
でも久々に触って再確認したのは、
やはり上手ではないなぁ・・と。
そもそも基礎知識がなさすぎるので^^;
なのですが、「好き♡」という気持ち
だけはふんだんに上乗せして、
シャッターを切っております。
実は昨日の子ども達の写真も、
カメラで撮りました☆
好きこそのものの・・・とは聞きますが、
得意不得意に関わらず、愛しい感じは
写真や文章に現れるみたいということが、
最近更新してるブログへいただく感想から
感じることです。
撮影に限ったことではありませんが、
私は自分が得意ではないことを、
自分よりも素晴らしく出来る人に
お任せしたくなります。
ダチョウ倶楽部のような素早さで
「どうぞどうぞ!」と(笑)
だから、「私より上手に出来る人が
いるのはわかっているけれど、
私もやりたい」ということって、
かなり好きなものなんだなぁ・・
と、最近になってやっと気づきました。
自分の「好き」に対して素直になる。
丁寧に取り扱う。
シンプルだけど、大切にしたいです。
好きな人がこの世界に生きているということが喜びでしかない、というグリーフだってあります。
実家で初日の出を見に行った時の写真。
良い表情で撮れてご満悦。(私がです^^)
こんにちは、よこです。
久しぶりに、やってしまいました。
昨日のことです。
今日中に送りたいファイルがあって
PCを持って行った方が良いけれど、
荷物が重くなるのはまだ痛い首に
響くなぁ・・置いていく?でも、
ないと外出時に作業できないなぁ・・
そう思いながらもひとまずPCを
持っていくことにしたのです。
そしたら何と、
お財布をきれいに置いてきました。
しかもそのことに気づいたのが、
お昼ごはんを食べたお店での会計時・・
スイカ、残金あって良かった〜!!
ありがとうスイカ様!!!
さてさて、昨日の記事に載せた
この言葉についての続き。
これも、グリーフからの影響だなぁと
感じたのでした。
ちなみにグリーフとは・・・
大切ひとやものを失うことによって、
うまれてくるその人なりの反応・状態・プロセス
と、リヴオンではお伝えしています。
私は5年前に、
事故で突然に夫を亡くしました。
朝「いってらっしゃい」と
玄関で見送った相手は、
夜になれば帰ってくる。
それが当たり前だった世界は、
この日を境になくなりました。
それからしばらくは、
子ども達を朝学校へ
送り出すことが、
こわくてこわくて
仕方ありませんでした。
もし彼らに何かがあったら・・・
ずっと家にいてほしい!
私も外に出たくない!
私の目の前からいなくならないで!!
・・そう毎日思いながらも
「いってらっしゃい」と、
玄関で見送っていたことを
思い出します。
夫が亡くなって、2週間後くらい。小4と年長でした。
だから、夕方子ども達と会えると
それだけでめちゃくちゃホッとして、
そしてそれほどに緊張や恐怖を
感じていた自分にも気づいて、
でもどうすることも出来なくて・・
日々ものすごい疲労感でした。
今も、子ども達の帰りが遅くなると
一気に恐怖が大きくなりそうな
自分がいますし、家族に限らず
親しみを感じている相手から
しばらく連絡が来ないと、
元気かどうか不安になったりします。
だから、
相手が生きているというだけで、
そのことを知れるだけで、
ものすごく嬉しい気持ちになるのです。
子ども達に関しては、
「息してるだけで素晴らしい!!」
と思っています。
心身が穏やかな時には、ですが^^;
大切な人を失う、という経験をしてから
「好きな人がこの世界に生きている」
ということが喜びでしかない。
そんなグリーフの影響だってあります。
ということを、お伝えしたかった
のでした。
(という、が多いですね^^;)
大切な人のことを見つめたり、
声が聴けたり、触れられたり、
やりとりしたりすることは、
いつまでも出来ること
ではないから・・
失うことに思いを巡らせるのは
それだけで恐ろしいことですが、
だからこそ、
今生きていることを喜び、
感謝していたいです。
あなたにも、わたしにも。