思いに火を灯す
とある繋がりから、こちらのプロジェクトを知りました。
せめて、目には見えない「気持ち」を形に。
そんな思いで、リヴオンのメンバーで火を灯し、
思いを言葉にしていきました。
今日は、ものすごく感覚的で、
あまり言葉にできない日。
3.11が近づいているということで、
様々な影響を受け取っている感じでした。
せめて、ゆらぐことも大切に抱けますように。
安全が常に揺らいでいると、どうなるの?
昨日の日記で、自分の「恐がり」について考察をしていきましたが、では、ずっと「この世界は危険。安心してはいけない」という価値観とともに大きくなっていくと、どういうことが起きるのだろうと言うことを、もう少し掘り下げてみたいと思います。
みなさんは、マズローの欲求5段階説って聞いたことありますか?
人間の欲求は5段階のピラミッドのように構成されている。下の階層から、生理的欲求・安全欲求・帰属欲求・承認欲求・自己実現欲求と。
そして低階層の欲求が充たされると、より高次の階層の欲求を欲する、という説です。
手書きで図にしてみたら、なんとも言えない感じに^^;
知らなくて興味あるという方は、「マズロー」で検索すると
いろんなページで、素敵な図とともに紹介されています。
それで、子ども時代の私は、「この世は危ない」という教えから、2番目の安全欲求が満たされていない状況だったのだなぁと。そうするとどうなるかと言えば、何も無くても何かにおびえ、ずっと緊張している状態は消耗するので集中力が落ち、危険な状況に遭遇しやすい。そしてなにか問題がおこると「やはり、ここは危ないところだから」という意識が強化される、の無限ループ。
また、安全欲求が満たされていないと言うことは、その次の帰属欲求へとすすまないので、「どこかに属したい」という欲求、ほんとに生まれなかったですね。少なくとも小学生時代は皆無でした。だから、クラスにとけこめなかった~~~。
どちらかというと、学校は私にとってサバイバルな地帯だったので。小学校時代クラスの女子の中でどこのグループにも入れてもらえなかった時期とかあるのですが、何とか自分の立場を危うくしないようにと、学級委員とかやって、なんだったら学級委員長とかやって、先生からの信頼を得る、みたいなことしてました。
それも、安全が揺らいでいるが故の行動だったのですねぇ・・と、結構最近、グリーフケアを学ぶ講座いのちの学校の「トラウマについて学ぶ」という回に参加して気づいたという。
まああくまで個人的な視点なので、みんながみんなそうはならないかと思います。けれど、実際には体験していなくても、「危険」という意識とともに生きていくだけでも、安全が揺らぐことはある、という事例のひとつとして知ってもらえれば幸いです。
と、今にして思えばいろいろと解き明かされていくけれど、当時、
めっっっっっっっっちゃ生きづらかった~~~~~~~~~~。
しかも、その理由がわからなかったのが、さらに苦しかった。いじめとか、兄弟の中が険悪とか、日々いろいろとはありましたけれど、親がいないとか、親が働いていないとか、非常に過酷な状況だった、ということはなかったと思います。それなのに、なぜこんなに生きることが大変なんだろう・・そう思って生きてきました。
そういう状態だったため、20代前半までは生きることだけで精一杯な感じでしたね。それが、どうしたご縁か22歳の時に結婚した相手はどちらかというと反対の、「大丈夫でしょ」という価値観がベースにある人でして。
昨日母の誕生日プレゼントを渡しに実家へ。
年々夫にそっくりになっていく息子さん。
それは、今考えると感謝しかない、出会いと結婚だったなぁと感じています。
はじめは価値観が違いすぎて、とてつもなくすれ違ったり、衝突したりしていましたけれど^^;
彼との結婚、長男・長女の出産、子育てしながら働く、パートナーシップの危機と再構築、そして死別。
それらを経て、どのような変化が起こり、今の私があるのだろう。
・・かなり長くなりそうなので、連載するとか。しないとか。
恐がりと安全について、考察の日々は続きます。
別に、隠していたわけでは無いけれど
この1週間、思った以上のストレスに、甘いものを欲してました。
しかも好きな果物イチゴの季節♡
自分はけっこう、恐がりなんだなぁということを実感中です。
あえて隠しているわけでもないし、強がったりしているつもりも無いのですが、今まで自覚していた以上に、何をするときにも「こわさ」というのがついて回ってるのだなぁ~私、と。
どのくらい恐がりかと言えば、この前一人で宿泊先のホテルにいてオンラインミーティングをしていたところ、「その部屋何かいるんじゃ・・」と言われて、寝付けなくなったり。
また来月から「受験生の母」になるということが、半年前くらいから恐くて恐くてしかたないです!というくらいの恐がりです。
受験生母に関して言えば、あまりの恐ろしさに息子を塾に通わせようと思ったものの、こういうことって人に言われてやっても長続きしないんじゃないかなと思い、見学・体験入塾した上で、行くかどうかの判断を本人に決めてもらうことに。しかし、その返事をゆっくりと待つことが出来ず、1週間後、2週間後「どうするの」と聞いてみるも、煮え切らない態度。
そして息子の「塾に、行く?」という言葉に、なんで自分のことなのに疑問系なのよ!乗り気じゃないなら行かなくていいよ!というか、受験もしなくていい!!と怒り出す・・・
・・えぇ、息子さん完全なるとばっちり。。そしてえぇ本当に、本末転倒。。
「恐れ」って「怒り」に変わりやすいですよね。 。
そのくらい、私にとって「来年の息子の高校受験」が脅威なわけだったということなのでしょうけれど、ほんと本末・・
ここのところ、いつも以上に花に癒やされました。こちらはお散歩先の梅。
なぜこれほどまでに恐がりなんだろう?と考えると、思い当たることはいくつかあって。
そのひとつに、「周りに怖がらせる人がいた。しかも無自覚に」があるなぁと。
どういうことかというと、父親と父方の祖母が、「世の中は恐いところ、危険なところ。だから気をつけなさい」という教えを、「よかれと思って」繰り返し繰り返し伝えてきたという経験が、20数年にもわたってあったのですね。
今思うと、初孫で女子で、今よりさらにボーッとして危なっかしかったので、心配だったのだろうなぁと想像できるのです。が、とにもかくにも「危ないから気をつけなさい」と言われ続けた結果育まれたものは、「この世界は危険。安心してはいけない」という価値観でした。
もしこの時に、「世の中は、こわいこと『も』ある」という形で伝えてくれていたら、もう少し世の中に対しての感覚が違ったのかなぁとか、多分同じ経験をしても、人によっては影響ほとんどないだろうなぁとか、思ったりします。
ただ、かなり感受性が高かった当時の私には、恐怖の感情を伴う話を繰り返し聞くことが、「実際に体験していなくてもトラウマになりうる」ということだったと、今なお続く影響とともに、身をもって感じている次第です。
それで、特に「実際のところ、どうなるかわからない」という状況になると、「ここは危険!スイッチ」に切り替わるというか、少しずつ這い上がってくる恐怖とともに、冷静な判断が難しい状況になると言うことなんだなと。それが、より「身内」な人にほど顕著に現れるということなのだなと言うのが、先ほどの息子さんとの一連のやりとりを振り返ってみての気づきでした。
だったら、「決めてもらえないのが恐くてストレスです。申し訳ないけれど、早めにどうするか決めてほしい」と伝えればいいのに、ねぇ~・・
こちらは「愛」という字。どんな時も恐れからでは無く、愛による行動が出来るようになりたい・・
ということで、この件に関して息子には理由も伝えつつ謝罪をしまして、「特にまだ決められないなら、ひとまず行ってみて」と、塾へ送り出しました。考えてみたら、彼は私と違って
モチベーションに左右されないというか、「自分がやること」と設定すれば、家事も自分の仕事としてやる人だったのでした。まちがいなく父親似^^;
・・なんか、「自分で考えて決めて」ということが、すべてにおいて効果的ではない、と言うことをしみじみ感じる出来事でした。
あ、「恐がり」についての考察は、もうしばらく続けていこうと思います。