6年前のこの日、
子どもたちと3人で、先日名古屋で参加した命灯会(みょうとうえ)のつながりで知った「ともしびプロジェクト」のキャンドルに火を灯し、黙祷し、ひとりひとり3.11への思いを言葉にしました。
6年前のこの日、東京にいた私は、あまりにも長い揺れの異様さに心も揺さぶられながら、保育園と小学校にいる子どもたちのお迎えに向かいました。
子どもたちの無事を確認して少し安心し、TVの報道にまた気持ちが揺れて、Facebook上で帰宅困難になっている友人達の様子に、何か出来ないかと遅くまでタイムラインを追い、翌朝赤羽までたどり着いたよねちゃんと会って話をしたり、都内も混乱の状況だったので、当時の産後クラスを休講にして、ご参加者のおひとりおひとりに電話をして様子を聞いたり・・・
「とにかく、今目の前にいる人に、自分が出来ることをする」
と、言えば聞こえはいいですが、当時子どもたちが小さくて、現地へボランティアに行くことが難しく、なんの力にもなれないことが情けなかった気持ちが、より目の前の活動へと駆り立てたのだと、今振り返ってみて感じています。
それから1年後、すこし自分も周囲の状況も落ち着いてきて、東北での活動にも関わっていきたいと思いはじめた頃に、夫の急死。
誰かの力になるどころか、たくさんの人を頼らないと自分のいのちをつなぐことすら難しくて。。
幸いにも、マドレボニータのインストラクター仲間や、事務局メンバーなどが文字通り駆けつけてくれて、クラスの休講・代講などの手続き、家事や育児のサポート、泊まり込みで話を聴いてくれたりetc・・
他にもたくさんの人が声をかけて、手を貸してくださり、その支えによって、生活や仕事を続けることができたことを、今でも深く感謝しています。
この経験があるからこそ、グリーフサポートは専門的な職種の人じゃなくても出来ることを実感しています。そして、自分が受けた恩を返したいし、次へと送っていきたい!との思いから、マドレボニータとリヴオンで活動をしています。
ただ、その頃の私はグリーフについてまったく知らない状態で、「今までの自分に合っていたセルフケア」だけでこの時期を乗り越えようとした結果、活動が身体と心の限界を超えてしまい、動けなくなってしまったという経験もしています。
だから、グリーフについての情報ができうる限り早く、大切な人を亡くした人に届いてほしい!という願いをこめて、グリーフケアの講座や講演や研修を担当させていただいています。まだまだまだ至らないところばかりですが・・
そんなリヴオンでお伝えしているグリーフケアの学びのなかで、グリーフの個別性について、まずは「そのままに受け止める」ことの大切さについて共有するために、「大切な人を亡くした人のための権利条約」というものがあります。
「悲しんでもいい」「自分を許してもいい」「思い出さない時もいい」・・・
私が初めて読んだ時、自分に優しく語りかけてくる言葉に、自分の身体や心に起きていることを裁かずに、自分に対してもうすこし優しいまなざしを持とうと、やっと思えるようになったのでした。
権利条約の文章はリヴオンのHPにも掲載されていますが、今回画像と共にブログでご紹介していますので、良かったら、身近な人を死別でなくした経験がまだない方にもご一読頂けますと嬉しいです。
自分が先では無い限り、誰もがいつかは「大切な人をなくす」はずなので・・
また、いつか自分が死に逝く時も、誰かは「大切な人をなくす」と思うので・・
ここまで書くのにとてもとても時間とエネルギーが必要で、あと数分で3月11日が終わるところでやっと言葉にできました。
長くなりましたが、そのままにここへ置かせていただきたいと思います。
今生きているいのちも、亡くなったいのちも、どうか、生き続けますように・・
祈りとともに、これからも活動して参ります。