安全が常に揺らいでいると、どうなるの?
昨日の日記で、自分の「恐がり」について考察をしていきましたが、では、ずっと「この世界は危険。安心してはいけない」という価値観とともに大きくなっていくと、どういうことが起きるのだろうと言うことを、もう少し掘り下げてみたいと思います。
みなさんは、マズローの欲求5段階説って聞いたことありますか?
人間の欲求は5段階のピラミッドのように構成されている。下の階層から、生理的欲求・安全欲求・帰属欲求・承認欲求・自己実現欲求と。
そして低階層の欲求が充たされると、より高次の階層の欲求を欲する、という説です。
手書きで図にしてみたら、なんとも言えない感じに^^;
知らなくて興味あるという方は、「マズロー」で検索すると
いろんなページで、素敵な図とともに紹介されています。
それで、子ども時代の私は、「この世は危ない」という教えから、2番目の安全欲求が満たされていない状況だったのだなぁと。そうするとどうなるかと言えば、何も無くても何かにおびえ、ずっと緊張している状態は消耗するので集中力が落ち、危険な状況に遭遇しやすい。そしてなにか問題がおこると「やはり、ここは危ないところだから」という意識が強化される、の無限ループ。
また、安全欲求が満たされていないと言うことは、その次の帰属欲求へとすすまないので、「どこかに属したい」という欲求、ほんとに生まれなかったですね。少なくとも小学生時代は皆無でした。だから、クラスにとけこめなかった~~~。
どちらかというと、学校は私にとってサバイバルな地帯だったので。小学校時代クラスの女子の中でどこのグループにも入れてもらえなかった時期とかあるのですが、何とか自分の立場を危うくしないようにと、学級委員とかやって、なんだったら学級委員長とかやって、先生からの信頼を得る、みたいなことしてました。
それも、安全が揺らいでいるが故の行動だったのですねぇ・・と、結構最近、グリーフケアを学ぶ講座いのちの学校の「トラウマについて学ぶ」という回に参加して気づいたという。
まああくまで個人的な視点なので、みんながみんなそうはならないかと思います。けれど、実際には体験していなくても、「危険」という意識とともに生きていくだけでも、安全が揺らぐことはある、という事例のひとつとして知ってもらえれば幸いです。
と、今にして思えばいろいろと解き明かされていくけれど、当時、
めっっっっっっっっちゃ生きづらかった~~~~~~~~~~。
しかも、その理由がわからなかったのが、さらに苦しかった。いじめとか、兄弟の中が険悪とか、日々いろいろとはありましたけれど、親がいないとか、親が働いていないとか、非常に過酷な状況だった、ということはなかったと思います。それなのに、なぜこんなに生きることが大変なんだろう・・そう思って生きてきました。
そういう状態だったため、20代前半までは生きることだけで精一杯な感じでしたね。それが、どうしたご縁か22歳の時に結婚した相手はどちらかというと反対の、「大丈夫でしょ」という価値観がベースにある人でして。
昨日母の誕生日プレゼントを渡しに実家へ。
年々夫にそっくりになっていく息子さん。
それは、今考えると感謝しかない、出会いと結婚だったなぁと感じています。
はじめは価値観が違いすぎて、とてつもなくすれ違ったり、衝突したりしていましたけれど^^;
彼との結婚、長男・長女の出産、子育てしながら働く、パートナーシップの危機と再構築、そして死別。
それらを経て、どのような変化が起こり、今の私があるのだろう。
・・かなり長くなりそうなので、連載するとか。しないとか。
恐がりと安全について、考察の日々は続きます。