別に、隠していたわけでは無いけれど
この1週間、思った以上のストレスに、甘いものを欲してました。
しかも好きな果物イチゴの季節♡
自分はけっこう、恐がりなんだなぁということを実感中です。
あえて隠しているわけでもないし、強がったりしているつもりも無いのですが、今まで自覚していた以上に、何をするときにも「こわさ」というのがついて回ってるのだなぁ~私、と。
どのくらい恐がりかと言えば、この前一人で宿泊先のホテルにいてオンラインミーティングをしていたところ、「その部屋何かいるんじゃ・・」と言われて、寝付けなくなったり。
また来月から「受験生の母」になるということが、半年前くらいから恐くて恐くてしかたないです!というくらいの恐がりです。
受験生母に関して言えば、あまりの恐ろしさに息子を塾に通わせようと思ったものの、こういうことって人に言われてやっても長続きしないんじゃないかなと思い、見学・体験入塾した上で、行くかどうかの判断を本人に決めてもらうことに。しかし、その返事をゆっくりと待つことが出来ず、1週間後、2週間後「どうするの」と聞いてみるも、煮え切らない態度。
そして息子の「塾に、行く?」という言葉に、なんで自分のことなのに疑問系なのよ!乗り気じゃないなら行かなくていいよ!というか、受験もしなくていい!!と怒り出す・・・
・・えぇ、息子さん完全なるとばっちり。。そしてえぇ本当に、本末転倒。。
「恐れ」って「怒り」に変わりやすいですよね。 。
そのくらい、私にとって「来年の息子の高校受験」が脅威なわけだったということなのでしょうけれど、ほんと本末・・
ここのところ、いつも以上に花に癒やされました。こちらはお散歩先の梅。
なぜこれほどまでに恐がりなんだろう?と考えると、思い当たることはいくつかあって。
そのひとつに、「周りに怖がらせる人がいた。しかも無自覚に」があるなぁと。
どういうことかというと、父親と父方の祖母が、「世の中は恐いところ、危険なところ。だから気をつけなさい」という教えを、「よかれと思って」繰り返し繰り返し伝えてきたという経験が、20数年にもわたってあったのですね。
今思うと、初孫で女子で、今よりさらにボーッとして危なっかしかったので、心配だったのだろうなぁと想像できるのです。が、とにもかくにも「危ないから気をつけなさい」と言われ続けた結果育まれたものは、「この世界は危険。安心してはいけない」という価値観でした。
もしこの時に、「世の中は、こわいこと『も』ある」という形で伝えてくれていたら、もう少し世の中に対しての感覚が違ったのかなぁとか、多分同じ経験をしても、人によっては影響ほとんどないだろうなぁとか、思ったりします。
ただ、かなり感受性が高かった当時の私には、恐怖の感情を伴う話を繰り返し聞くことが、「実際に体験していなくてもトラウマになりうる」ということだったと、今なお続く影響とともに、身をもって感じている次第です。
それで、特に「実際のところ、どうなるかわからない」という状況になると、「ここは危険!スイッチ」に切り替わるというか、少しずつ這い上がってくる恐怖とともに、冷静な判断が難しい状況になると言うことなんだなと。それが、より「身内」な人にほど顕著に現れるということなのだなと言うのが、先ほどの息子さんとの一連のやりとりを振り返ってみての気づきでした。
だったら、「決めてもらえないのが恐くてストレスです。申し訳ないけれど、早めにどうするか決めてほしい」と伝えればいいのに、ねぇ~・・
こちらは「愛」という字。どんな時も恐れからでは無く、愛による行動が出来るようになりたい・・
ということで、この件に関して息子には理由も伝えつつ謝罪をしまして、「特にまだ決められないなら、ひとまず行ってみて」と、塾へ送り出しました。考えてみたら、彼は私と違って
モチベーションに左右されないというか、「自分がやること」と設定すれば、家事も自分の仕事としてやる人だったのでした。まちがいなく父親似^^;
・・なんか、「自分で考えて決めて」ということが、すべてにおいて効果的ではない、と言うことをしみじみ感じる出来事でした。
あ、「恐がり」についての考察は、もうしばらく続けていこうと思います。