よこのつながり

産後ケアとグリーフケアとわたしというものと、そのつながりについて、言葉にしながら考えたい。そんなページです。

産後ケアって

こんにちは、よこです。

 

プロフィールに書いているそれぞれの活動について紹介したいと思います。

出会った順に、まずは産後ケアについて。

 

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こちらは、産後ケア教室コース最終回に撮影する集合写真です。

 

東京都港区出身で、2001年の結婚を機に板橋区へ。2002年9月に長男を出産しました。当時24歳だったのですが、(若い!)骨盤がグラグラで、身体がふらふらして、肌も髪もボロボロになるほどの身体の変化があったことを、今でも思い出します。

 

また「これからは、わが子の健やかな成長を守ることを第一に生きていくのね」と思い、出来るだけミルクを足さないで母乳育児を試みたり、授乳やおむつ替えの記録をまめにおこなったり、眠りが浅くてしょっちゅう泣くので、抱っこして椅子に座りながら眠ったりなどして初めての育児に奮闘していました。

 

ですが、3ヶ月を過ぎてもいっこうに身長・体重が増えず、成長曲線の下をいくばかり。健診の度に保健士さんから指導が入り、ミルクを足してみるも、変化はほとんどなく・・・

 

今だったら「小さくてもこんなに元気で、笑顔も見せてくれるのだから、大丈夫」と思い切れるのですが、当時は何か言われる度に心配になり、何かの病気なのではと恐くなり、絶えずストレスがかかっていたからか、夕方になると疲れがピークで涙することも度々でした。

 

そんな、わが子はかわいいはずなのに、子育てがしんどいと感じていた産後6ヶ月に、妊娠中に知り合った友人のすすめで、妊婦&産婦向けのイベントに参加しました。そこにイベントの運営者として来ていた一人が、現在NPO法人マドレボニータの代表である吉岡マコ先生でした。

 

そのイベントでもらった『産後のボディケア&フィットネス教室』のチラシを読んで、正直最初は、産後の体型が少しでも改善できたら・・との思いで、4回コースを受講しました。

 

当時開催されていたのは下北沢だったので、板橋区から地下鉄を乗り継いで新宿へ。そこから小田急線で下北沢まで、息子と共に通いました。エクササイズをすると身体がスッキリとしたのですが、それ以上に気持ちが明るくなって、クラスのあった日は夫にも優しくなれる(苦笑)あっという間に1ヶ月が終了しました。

 

その後、当時あったリピートクラスもしばらく受講して、この後どうしようと考えていたところに、インストラクターになるための(当時はトレーナーという名称でした。)養成コースがある事を知りました。

 

「職業にすれば、身体のことも人一倍気を遣うようになって、健康でいられるよね」という、割と安直な理由から(^^;旧養成コース4期にエントリー。研修期間を経て、2004年5月から板橋区で講座を開始しました。

 

活動を続けていく内に、自分自身が感じた産後の身体の変化や初めての育児への不安で、苦しむ人が減って欲しい・・出産をした全ての女性に届いて欲しいという気持ちが増えていき、板橋区の他にもクラスを担当したりしました。

 

その後、2006年5月の長女出産を機に、教室を北区赤羽に移して、なんと産後3ヶ月で教室を再開しました。それ以外にも、養成コースに再エントリーをしたり、毎月のようにアシスタント研修に参加したりと、産後じゃなくてもオーバーワーク気味な忙しい日々に。

 

そんな無謀な復職の負担は、自分以上に家族へかかり、長女が生まれてから1年後に、夫が産後ウツとなり、家を出ていってしまい・・

 

幸い(?)にも、両両親の説得で数日後に自宅へ戻ってきたのですが、コミュニケーションがまったく取れない。どころか、家族を完全に拒絶する彼を目の当たりにして、もう、関係修復は難しいかもしれないと絶望しました。

 

では、今別れてインストラクターの活動が出来るのか、子ども達を養えるのかと思うと、これからのことがとても不安で、私自身もカウンセリングに通ったりしました。

 

それでも、何とか関係を築きなおすことは出来ないのかということを、夫の体調回復を待ちながら、離婚することも視野に入れながら、夫と話をしていきました。

とにかくやってみた方が良いのではということを片っ端からやってみて、試行錯誤ばかりでしたが、それでも少しずつ彼の体調も、彼との関係も良くなっていったのでした。

 

そのことがきっかけとなり、何回目の出産であっても産後はパートナーシップの危機に陥りやすい、ということを改めて感じ、クラスでも経験を交えて話をしていました。

 

そうしたら、当時はまだ言葉もなかった「産後クライシス」について、夫にインタビューの依頼が届きました。その事前取材として、夫と私がそれぞれ話をすることになり、当時のことをお話ししました。

 

その取材から1ヶ月が経とうとしていた頃、夫が会社からの帰宅途中に交通事故に遭い、帰らぬ人となりました・・・

ちょうど4年前の今日、2012年11月9日の夜のことです。

 

そのことがあって、インタビューは他の人が受けることになったのですが、事前取材での内容と、その後私が書いたブログの一部が本に紹介されました。

 

(009)産後クライシス (ポプラ新書)

(009)産後クライシス (ポプラ新書)

 

 

また、夫が亡くなってから1ヶ月後から産後ケアクラスを再開して、この4年いろいろいろとあって、現在もインストラクターとして活動を続けています。

 

その、いろいろいろ~なところは、また別のところで。

 

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